ねむいつらいかえりたい

もうただの日記

車はあくまでも

4月中旬に、<strong>私の新車</strong>が納車された。夢にまでみた青い車だ。
本当はVWのGOLFかTiguan、VOLVOのV40か60が良かったけど、整備工場やパーツの普及具合とか何かあったときのフォローと車体の質実剛健さを求めた結果、国産車、しかもオタク大好きSUBARUになってしまった。
というのは言い訳で、あのボディカラーにひかれたのが購入理由の8割かもしれないけど。

この時代になぜ車を買うのか、みんなに首を傾げられる。もっともな意見だと思う。
でも、自分で行きたいところに行けることの、本当の楽しさをみんなは知らない。

わたしは車で育ったと思う。
両親はともに車人間で、車がないと生活できない住環境にもあって、私は子供の頃からほぼ公共交通機関に乗ったことがなかった。

市街地に行くのも田舎に行くのも全部車、定期的に片道6時間かけて車で田舎に遠出したりしてたので、電車やバスの窮屈さや、乗り換えの不便さに今も耐えられずいる。

徒歩圏内にコンビニも駅もないような郊外に住んでる人はみんなそうだと思うけど、つまり私にとって、どこかに行くには車がないといけなかったので、必ず親の許可が必要だった。
いや、正式には自分の気持ち次第で全然家からは出られたはずだけど、私は外に出る勇気がない子供だった。

この閉鎖的なクソシケタウンを抜けて自由にどこかへ行くことは、親とこの町と自分で自分にかけた呪縛から逃れることに等しく、別に学生時代に外出を制限されてたわけでもないのに私は勝手に自分の呪縛に縛られていたんだと思う。

だから、免許取り立てで初めてこの町を運転してまわったとき言いようのない高揚感があった。
その高揚感が30歳も過ぎた今もまだ続いていてこの高い買い物の理由になったと思うとまたいつもの衝動的な良くない癖だ。

それでも、親の運転で通り慣れた道を、阪神高速中国道を抜けて昔住んでた家まで一人で運転したとき、初めて大人になったなと思った。
カーナビの目的地を無視して、続く道ならどこまでも運転して行けると思ったとき、言いようのない楽しさを知ってしまった。

そしてその感情は今も続いてる。
映画レディバードのラストシーンで、主人公が地元サクラメントの街中を初めて運転したときのことを思い出しながら想いが通じない母親に語りかけるシーンがあるけど、わたしはあそこで号泣できる。
いつもの幹線道路を走るとき、沿道の木に透ける陽の光が綺麗だったとき、まさにあの気持ちだった。
あと、最近出たつづ井さんの新刊で、実家に戻ったつづ井さんが夜にドライブする話も泣けた。

楽しいだけじゃなく、破滅とか快楽とか郷愁とか悲壮感とか全部ひっくるめたぐちゃぐちゃな感情に浸りながら、最終的になぜかスッキリできる最上の行為はドライブ以外無いと思ってる。爆音で音楽を聴きながら運転するのは、私にとって旅行の次くらいに楽しい。

とはいえ、ただ車に乗るだけなら誰かの車でもカーシェアでもレンタカーでもいいのにやっぱり自分のものにしたかった。
最近思うけど、私は所有欲がすごいタイプですね…。これが人に向かなくて俗物的でよかった。

ただ、免許取った当初は運転スキルが壊滅的すぎて、自分でどこか行こうなんて微塵も思わなかったので、私にとって車を運転することが自由だと感じるようになれたのは本当に運転せざるを得ない職場で鍛えてもらったおかげです。
上司、先輩各位に"死“が脳裏をよぎる恐怖体験を複数回プレゼンしてしまいすいませんでした!

これからも縁石や柵にはぶつかってもとにかく人だけは傷つけず車間をとって頑張りたいと思います。
ガソリン代とか税金とか保険代とか、正直もう欲しい気持ちには勝てないからどうでもいい。
とりあえず初めての愛車で行けるとこまでどこまでも行くよ私は。